河村たかし名古屋市長は30
祖国のため死ぬのは「道徳的」 河村市長が改めて強調、専門家は批判
名無し 04/30
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河村たかし名古屋市長は30日の会見で、「祖国のために命を捨てるのは道徳的な行為」と発言したことについて、問題ないとの認識を示した。市民団体や自民党市議団などから批判が出ているが、河村氏は撤回しなかった。
河村氏は22日の会見で、高校生の働きかけをきっかけに制定された5月14日の「なごや平和の日」の意義を問われ、戦闘が続くウクライナやパレスチナ自治区ガザを引き合いに「人はなぜ殺し合うのか」と、戦争が始まる要因を考える必要性に言及。そのうえで太平洋戦争の戦没者も含め、「祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的行為だ」と述べた。さらに、学校教育の現場でも「一定は考えないといけない」と主張した。
これに対し、市民団体などが「国民の犠牲を美化している」と抗議。市議会最大会派・自民党市議団も会見で、「戦争の基盤は殺戮(さつりく)。その行為を道徳的というのは不適切」(藤田和秀団長)と批判した。
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名無し 04/30
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河村氏はこの日の会見で、「道徳的」の意味は「感謝される対象、徳がある」と説明。「(世界は)残念ながら第2次世界大戦を起こして膨大な人を殺した」「戦争なんかない方がいい」との認識を示したうえで、「祖国が間違っていたこともあるが、わけわからん歴史の中で命を落とした人たちの死は全く無意味なのか」と反論。そのおかげで今の平和があるとし、「祖国のために死んでいったことは一つの道徳的行為だった」と改めて強調した。また、改めて戦争の原因を突き詰めるべきだとし、「なぜ国のために命を捨てないといけないのかを議論することが必要」とも語った。
日本大学の古川隆久教授(日本近現代史)は、河村氏の発言は国の命令・判断に従わざるを得なかった戦前の歴史的な経緯を無視している、と指摘。「国が『大変だ』と言ったら無条件で命を投げ出せという意味にすり替わる可能性がある」と話す。世界的に見て侵略に対して「命を捨てる」ことに敬意が払われるのはよくあるとしたものの、「歴史的に見れば容易に『戦争に行くべきだ』という議論に発展したし、むしろそのためにこういう話が盛んになされてきた」と警鐘を鳴らす。
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名無し 04/30
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近現代史研究家の辻田真佐憲氏は「戦争で死ぬことを『道徳的』とすると、それが『推奨すべき良いおこない』となる」と指摘。現職市長がこうした発言をすると、「慰霊をすること以上を市民に求めているように聞こえる」と危惧する。市は「なごや平和の日」を制定したばかりで、「戦争の犠牲者を悼むための式典のはずで、いったい何を伝える日にしたいのか」と疑問を呈す。(寺沢知海、野口駿)
https://www.asahi.com/articles/ASS4Z3H...
松尾貴史が河村たかし市長の「祖国のために命を捨てるのは道徳的」発言を名古屋弁で批判
名無し 04/30
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タレントの松尾貴史が24日、X(旧ツイッター)を更新。名古屋市の河村たかし市長が「祖国のため命捨てるのは道徳的行為」と発言したとの一部報道を受け、「本当に見っともにゃあ」と名古屋弁を使って強烈に批判した。
朝日新聞デジタルによると、河村市長は22日の会見で、空襲で名古屋城天守が焼失した5月14日を「なごや平和の日」に定める意義を問われ、河村市長は「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」などとと発言。会見終了直後には一転、記者団に「(命は)捨てない方がよい。誤解してもらってはいけない。『捨てよ』とあおっているわけではないが、残念ながら戦争は起こる」と釈明したという。
松尾はこの記事を引用した上で、「元々こんな人だったのが可視化されただけなのだろうけれど、本当に見っともにゃあてかんわ(原文ママ)」と投稿。「本来の意味に鑑み、減税日本の呼称をやめて『血税日本』に変えたらええがね」と痛烈に批判した。
https://www.chunichi.co.jp/article/889...
河村市長「祖国のために命を捨てるのは道徳的行為」に石戸諭氏「どんな歴史観を持っているのか?」
名無し 04/30
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名古屋市の河村市長が戦争の風化を防ぐために制定された「なごや平和の日」の会見の中で「祖国のために命を捨てるのは道徳的行為」などと発言した。
「軍人として命を失っていくというのは、祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的行為であるということは間違いないのね、実は。右翼ではないですよ。世界の常識ですよ、そんなこと」
名古屋市の河村市長は22日に行われた会見で、戦争の記憶を風化させないために市が定めた「なごや平和の日」について話す中で、このように述べた。
この発言の意図について記者から「『祖国のために命を捨てるのは相当高度な道徳である』という発言があったが、もう少し具体的にどういう意味か?」と問われると以下のように答えた。
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名無し 04/30
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「世界にはまだ世界連邦というのはないんですわ。世界中にね。国際連盟を作ろうとしてやって、第2次世界大戦を起こしてむちゃくちゃになりましたけど。第2次世界大戦後には国際連合を作りましたけど、現にウクライナの戦争はあるし、イスラエルの戦争も止まないしということになると、それぞれの国という存在自体が皆さんの生存を守っていかざるを得ないという状況ではあるんです。これは、でしょう? だから国というものに対して自分の命を捧げていくというのは、大変な勇気のあることだし、みんなで『サンキューベリーマッチ』と言わな、みんなの福祉も平和も保てんのじゃないですか、残念ながら」
朝日新聞によると、市長は会見の後、「祖国のために命を捨てるというのはなかなかのことで、本当は捨てない方がいい。誤解してもらってはいけない。捨てよとあおっているわけではない。残念ながら戦争というのは起こるから」などと記者団に釈明したという。
市長の一連の発言に対しては、撤回を求める市民がオンライン署名活動なども行っている。
https://times.abema.tv/articles/-/1012...
(社説)河村市長の発言 戦争は道徳で語れない
名無し 05/05
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名古屋市で14日、「なごや平和の日」の式典が初めて開かれる。空襲犠牲者らを悼む日を、という高校生の提案を受け、河村たかし市長が動いた。しかし、その河村氏が看過できない発言をした。
「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と記者会見で語ったのだ。
哀悼の気持ちは、深いのだろう。「死は無意味なんですか」「犬死にですか」。繰り返した言葉から、せめて犠牲を高く位置づけたいという思いが感じられる。
実際、戦争のさなか、「祖国」や「高度な道徳」のために犠牲に耐えようとした人もいただろう。しかし、それをいま、為政者の側が持ち出すことには疑問がある。美しい言葉のもとに大勢の人が、死を強いられた歴史から目を背けるわけにはいかない。
あの戦争の犠牲者は日本だけで310万人、アジア諸国などを入れると、2千万人以上とされる。
国家が起こした戦争だが、自治体も若者を戦場に送り出し、市民に戦争協力を呼びかけた。河村氏はその自治体の長だ。政治が二度と人々を戦争に駆り立てないと反省し、不戦を誓うのが役割だろう。
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名無し 05/05
4284760
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河村氏はウクライナやパレスチナで続く戦闘などを例に国連の無力をいい、国を守ることの意義を説く。それが現実政治と言いたいらしい。
しかし、ロシアやイスラエルでもいま、政府に抗議し、反戦や非戦を唱える人たちがいる。彼らに対し、道徳的に低い、とは誰も言わないだろう。人が守るべきものは何か。我々はどこに価値を置くべきか。考え抜くことは貴重な営みである。
あの時代、日本の政治指導者も大義を唱えた。だが、誤算のすえに、取り返しのつかない膨大な犠牲と破壊がもたらされた。二度とこの惨禍を繰り返さない。その決意から、戦後の日本は出発した。
むろん、敗戦はあまりに惨めな現実だった。直視したくないという願望は、ずっと残っている。惨禍の記憶が薄れ、経済成長が陰るいま、過去を美化する欲求が、より強まっている。その風潮こそが、河村氏に問題のある発言をさせるのだろう。我々は歴史を顧みる勇気をもたなければいけない。
国を守る意義について、河村氏は、「(学校現場でも)考えないといけない」とも話した。だが、教育への政治介入は決して許されない。これもあの戦争の教訓だ。
無題
名無し 05/05
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戦争を振り返り、何をどう考えればいいのか。戦後79年にして始まる、なごや平和の日が投げかける問いである。
https://www.asahi.com/articles/DA3S159...
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