平和博 桜美林大学教授 ジャ
「ニュースの客観性」をジャーナリストが否定する、3倍も多い批判の理由とは? 名無し 04/30 4283892
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平和博 桜美林大学教授 ジャーナリスト

「ニュースの客観性」をジャーナリストが否定するケースが、肯定論の3倍も多かった――。

カリフォルニア大学バークレー校の研究者、ジョナサン・ストレイ氏が、メディアサイト「ニーマンラボ」で、そんな調査結果を明らかにしている。

「客観性」はこれまで、メディアの信頼を担保する、基本的な指針と考えられてきた。だが今ではむしろ、ジャーナリストたちの批判の対象になっているという。

メディアの信頼や存在感が低下する中で、「客観性」の何が問題なのか。

そして、「客観性」に代わるメディアの信頼の新たな物差しとは?

https://news.yahoo.co.jp/expert/articl...

無題 名無し 04/30 4283896
IP:153.190.*(ocn.ne.jp)
客観的に報道するのは無理だから、報道する側の多様性を追求しないといけないのだよ。
報道する人間はどこの国でも左巻きばかりなってしまうのだけど、少しは右の意見から報道しないといけないのだよ。
それにはすべての記事にコメント欄をつけることから始めてはどうだ?
最近ではコメント欄をつけると、ネトウヨに荒らされると言ってコメント欄をつけない例が横行しているけどさぁww
でも東京新聞の原発記事みたいに明らかに技術的におかしなことを主張していた時にはコミュニティーノートが発動されて、報道機関の思い上がりを質すことだってあるのだからさぁww
読売新聞捏造報道問題と「自分のイメージと違った」ら誘導尋問する全国紙記者たち 名無し 05/02 4284235
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常見陽平 千葉商科大学国際教養学部准教授/働き方評論家/社会格闘家

読売新聞の小林製薬の紅麹サプリを巡る談話捏造問題は、あってはならない問題だ。「真実を追求する公正な報道、勇気と責任ある言論により、読者の信頼にこたえる」という同社の方針に反する行為だ。ただ、謝罪をし、しかるべき処分を行った読売新聞の対応はまっとうではある。

ただ、残念ながら記者やディレクターが「自分のイメージと違った」とは言わないまでも、「自分のイメージと合う」コメントを期待することは日常茶飯事、平常運転であり、日本のメディアでよく行われていることだ。この点について警鐘を乱打しておきたい。広報担当者としてメディア対応をしていた約20年前も、論者として取材対応、メディア出演をする今も、変わらない光景である。ずっと目の前で起こっていることだ。これは媒体や担当者の経歴、性別など関係なく起こることだ。

取材する側が期待しているコメントが出てくるまでに誘導尋問される、9割の取材が無視され、1割のコメントが切り取られるということはよくある。
無題 名無し 05/02 4284236
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記者が「つまり、◯◯ということですね?」「◯◯と書いても構わないですね」と結論をまとめようとすることもある。読売新聞の事案のように、「自分のイメージと違った」から「捏造」し、それが載ってしまうのは言語道断だが、「自分のイメージと合うような」コメントが取れるような取材をし、それを書いてしまう記者、メディアも問題だ。

なお、最近の記者はだいぶ人当たりがマイルドになったが(あるいは私が年齢を重ね、対応を選んでいるのかもしれないが)、昔は罵倒することでコメントを引き出す記者もいた。「そんなわけ、ねえだろ!本当のことを、言えよ!」と当時、平河町にあった出版社で看板ビジネス雑誌の副編集長に恫喝されたことがあった。「おらおら、書いちゃうぞ」「これで話しやすくなっただろ、あー」など、言葉責めを繰り返す経済紙記者もいた。

やや別の論点ではあるが、そもそも、その記者なりディレクターが伝えよう(いや、描こう)としているニュースの論拠が脆弱であることもよくある話だ。

数字に弱い記者が多すぎないか。
無題 名無し 05/02 4284237
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私の関連する雇用・労働分野では、例えば、次のような記述に気をつけなくてはいけない。いや、データやファクトをぱっとみるとそう思うだろう。ただ、分析を伴わない素人の視点が全国紙に載ってしまっている。

・「女性が活躍している企業は、リーマン・ショック後も株価の下落率が低かった」→株価は様々な要因で決まるものであり、これはさすがに雑だろう。グローバル展開している企業の場合、日本の人材マネジメントの取り組みが劇的に業績に反映されるわけでもない。多様な人材が活躍しているから業績が良いのか、業績が良いから多様な人材を雇用する余裕があるのかという点もよくある批判だ。しかも、これは、約10年前に経産省のダイバーシティー推進関連のレポートに載っていた記述なのだ。

・「働き方改革が進み、労働時間が減っても、A社の業績はむしろ上がった」→業績は自社の努力「だけ」では上がらない。市場全体が伸びている場合もあり、競合他社と比べたら負けているかもしれない。

https://news.yahoo.co.jp/expert/articl...
テレビの「統計っぽいコメント」はウソばかり 東大入試が「統計的な推測」を重視するようになった背景 名無し 05/02 4284238
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・「データに騙されない」ために必要なこと

高校の新しい教育課程では「統計教育」が重視されることになった。数学講師の大淵智勝さんは「日本ではデータの恣意的な使い方が多い。データに騙されないためにも、日本人は統計のリテラシーを身に付けるべきだ」という――。

・テレビでみかけた「統計的」なコメント

「統計」は今や現代人に必要なスキル。この言葉、既に見飽きている方も多いだろう。

「わかってはいる。ただ、統計学の深い方の、何だっけ、その、正規分布とか、カイ何とか検定とか、そういうところまでは手が出ないけど、でも、データはしっかり見て考えているし、データの裏付けがなければ信用しないようにしている。」という方も多いのではないだろうか。

では、こういうのはどうだろう。
無題 名無し 05/02 4284240
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2015年10月某日。あるテレビ番組であるコメンテーターの一人が「ハロウィンが日本に浸透した」というテーマでプレゼンを始めた。その中に「経済効果が2014年にはじめて『バレンタインデー』を抜いた」というものがあった。

これを聞いて皆様はどのように思うだろうか。

確かにある研究所の算出によれば、2014年のハロウィンの経済効果は1100億円であり、同年のバレンタインデーが1080億円であるから、確かにハロウィンのほうが多くなっている。この件は、正規分布だとか仮説検定だとかそういったことを使っているわけではない「統計」の事案である。

どうだろうか? 「なるほど2014年の段階で、ハロウィンは日本にだいぶ浸透していたんだな」と思われるだろうか。

この当時、この番組を見ていた私は「そんなにハロウィンが浸透しているか?」という疑問が生じた。

https://president.jp/articles/-/80317

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