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中日、日本ハムで2204安打を放つなど活躍した大島康徳氏が6月30日に死去していたことが分かった。70歳だった。同26日に自宅で転倒。歯が抜けてしまったことをブログにつづり、同28日には「生きる」という題でブログを書くことがつらくなってきたことを報告。以後、夫人に代筆してもらっていたが、同29日を最後に更新が止まっていた。懸命にがんと闘ったが、力尽きた。
異色の経歴でプロ野球の世界に飛び込んだ。大分・中津工に入学した時、キャッチボールも満足にできなかった。中学時代はバレーボール部の花形アタッカー。人数が足りないからと中津近郊相撲大会に誘われ、個人優勝をさらった経験もある。その足腰の強さに目をつけたのが当時の中津工野球部監督。実家や中学校に日参し、野球転向を口説かれた。
… | 1無題Name名無し 21/07/05(月)12:55:30 IP:126.165.*(access-internet.ne.jp)No.923785+ 1625457330079.png-(298010 B) 高校入学後に才能を開花させた。在学中の甲子園出場はならなかったが、68年ドラフト3位で投手として中日に入団。野手に転向し、74、82年のリーグ優勝に貢献した。持ち前の長打力で76年に記録したシーズン代打本塁打7本は、今も日本記録。83年、山本浩二(広島)と並ぶ36本塁打で、本塁打王のタイトルを獲得した。 |
… | 2無題Name名無し 21/07/05(月)20:22:15 IP:221.118.*(aitai.ne.jp)No.923787+一発長打の大島君 |