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【論考】星野智幸氏寄稿「正義に依存するリベラル」を鼓舞する魔法の言葉Name名無し25/03/28(金)18:09:41 IP:221.112.*(ucom.ne.jp)No.4365377+ 4月21日頃消えます
27日に朝日新聞に掲載された作家、星野智幸氏の論考「言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル」が話題になっています。星野氏はいわゆる左派リベラルの属性の文化人。メディアの取材に応じる場合、保守派、右翼的言説、伝統主義への批判が主です。ご本人には申し訳ありませんが、朝日新聞など左派メディアの御用文化人という色が強い人物でした。

ところが今回の論考では現状のリベラルに対しても危惧した内容です。現在、左派は「人権・環境・反戦」など非常にエキセントリックになっており、全く異論を許さない雰囲気があります。通常、それは先鋭化と呼ばれています。

星野氏はこれまで「日本人依存」がカルト化していることについて危惧してきたと。ところが「正義に依存するリベラル」自体がカルト化していたことに気付いたというわけです。

個人的には「今さら?」という思いもあります。そしてリベラル的の尖った言説に価値を与えてきた朝日新聞にこの寄稿が掲載されたことにも驚きました。
1無題Name名無し 25/03/28(金)18:09:59 IP:221.112.*(ucom.ne.jp)No.4365378+
・リベラルが依存する正義の意味とは

「リベラルな考え⽅の⼈たちは、「正義」に依存」とはどういう意味でしょうか。そもそも「正義」とは立場、視点によって異なるものです。もちろん殺人、誹謗中傷、窃盗、詐欺行為などに「正義」は存在しないとしても。

私は現在のリベラルが依存する正義とは「特定団体・特定民族、一部野党、党派性を同じくする者」を擁護することだと思います。

例えば「冤罪を許さない」という一つの正義があります。冤罪はどんな対象でもあってはならないこと。そして冤罪問題というのは戦後左派の一大テーマでありました。ところがどうでしょう。仮にリベラル左派が憎悪する人物に冤罪が起きた場合、今のリベラルは声を挙げるでしょうか。否です。

発言が「不適切」「差別」と糾弾される場合、いわゆる「キリトリ」をしてまで差別者に仕立て上げられることもありました。
2無題Name名無し 25/03/28(金)18:10:38 IP:221.112.*(ucom.ne.jp)No.4365379+
そして次にこう訴えるはず。

「アイツの仕事を奪え。生活の糧を奪え」

と。まるで現在の魔女狩りです。この中には反差別に取り組む社会団体の活動もいます。人権擁護以上に必要以上の社会的制裁を与えることが果たして「リベラル」なのか悩ましい。

私が私淑するⅩユーザー、将鼓氏は過去、noteでこう論じていました。この中で同氏は不寛容や怒りのガン化と評していました。

恐ろしいことにこの一派は当事者、関係人物でもありません。ところがガン化した面々は自身に1㎜も関係しない問題にただ怒る、制裁を訴える、生活を差し出せ、収入源を無くせ、と。

先の都知事選でColabo問題を追及してきた暇空茜氏を支持した岩下食品・岩下和了社長に対してXでは吊し上げのような罵倒が浴びせられました。リベラルの意に沿わぬならば支持表明ですら攻撃対象になる。もはやリベラル派はここまで不寛容になってしまいました。
3無題Name名無し 25/03/28(金)18:11:16 IP:221.112.*(ucom.ne.jp)No.4365380+
・正義依存を強めた魔法のフレーズ

ではなぜここまでリベラルは正義依存を強めてしまったのでしょうか。私はある魔法のフレーズが影響していると考えています。それは

「無関心が差別を助長する」

という常套句です。これは主に同和問題で使用されたものが広く左派に共有されています。「見て見ぬふりをするな」というわけですね。一見は綺麗な文言です。しかしある被差別対象に対して関心を持った結果、批判的な結論を得る可能性もあります。この場合、運動体側の主張、方針に沿った「関心の持ちよう」が正解。それ以外は差別者というわけです。

ところがこのフレーズの真意は「見て見ぬふりをするな」ではありません。左派内における一種の集団的自衛権なんです。「俺たちの憎悪を共有せよ、そして共に参戦せよ」という一種の戦意高揚用語といえます。

https://note.com/jigenshaspinoff/n/ncf6a0b8ad3a7
4トランスジェンダー女性は、もう「無敵」でなくなったのかName名無し 25/03/28(金)19:54:43 IP:221.112.*(ucom.ne.jp)No.4365464+
まだアメリカが民主党のバイデン政権だった1年前に、こんな記事を書いた。安易に「意識の高さ」を誇ろうとする演出があだになって、アカデミー賞授賞式が炎上した不祥事を扱う内容である。

ご存じのとおり、いま共和党のトランプ政権は、むしろそうした「ダイバーシティはキラキラしている☆」といった風潮を全否定すべく、敵意をもってDEI(平等化政策)の排除に乗り出している。そんななか、今年もアカデミー賞がやらかしたのは、正しく時代の象徴になったかもしれない。

こうしたことは、記録に残さないと記憶からも消えていくので、後世のためにまとめておこう。

今年の本命と呼ばれていた作品は、ヘッダー写真の『エミリア・ペレス』。本人もトランスジェンダー女性を自認する俳優が、性転換して女性になる主人公を演じて「主演女優賞」にノミネートされた。発表時には、トランプ政権に屈しないというメッセージとして、好意的に報じられた。
5無題Name名無し 25/03/28(金)19:55:18 IP:221.112.*(ucom.ne.jp)No.4365465+
ネタバレになるから伏せるけど、1992年に見事な「女性」を演じた男性俳優は、助演男優賞で候補になった(知りたければこちら)。2007年の『アイム・ノット・ゼア』で、男装してボブ・ディランを演じたケイト・ブランシェットも、あくまで助演女優賞でのノミネート。トランス女性が「女優賞」で候補になるのは、画期的なことだった。

ところがその後、この人が過去(といっても2020〜21年)に、ムスリムや黒人、アジア系など他のマイノリティへの差別発言を連発していたことが判明した。スペインの俳優なので、ハリウッド側のチェックが甘かったらしい。

ノミネートの剥奪こそなかったものの、映画を配給するNetflixは一切のサポートの拒否を表明し、誰も彼女に好意的な態度を見せたくないということで、授賞式の演出まで変更になった。要は捨てられたわけで、むろん賞も他の人が受賞した。

この事件が起きるまで、キャンセルカルチャーと言えば「トランス差別」をした(と見なされた)人に対して発動されるものだった。
6無題Name名無し 25/03/28(金)19:56:19 IP:221.112.*(ucom.ne.jp)No.4365466+
しかし今回の顛末を受けてむしろ、『エミリア・ペレス』はこのトランスジェンダー女性に対するキャンセルで、作品賞まで逃したとさえ報じられている。

つまり潮流はいまや、180度逆転したのだ。そしてそれは、差別の問題を真剣に考える人にとっては、なんら驚くべきニュースではなかった。

エズラ・ミラーという俳優がいる。細面なハンサムで、かなり人気のあった(たぶん)男性なのだが、本人は自身をトランスジェンダーだと認識している節もあるらしく、2022年にはすでに不品行が騒動となっていた。

なにせ女性を犬扱いし、口答えするならトランス差別だからナチスと同じとまで言い放ったというから、すさまじい。被害の規模がだいぶ違うとはいえ、「ウクライナで抵抗しているのはネオナチ」と公言する某国の独裁者(ただし、遠からず復権予定)を思い出させる。
7無題Name名無し 25/03/28(金)19:56:48 IP:221.112.*(ucom.ne.jp)No.4365467+
実はこの人が出た『ウォールフラワー』(2012年)は、14年からぼくが病気で働けない間に見て印象に残り、励まされた映画のひとつだった。そこですばらしい演技を見せた人が、いつしかこうしたほとんど「無敵の人」の状態で、ハラスメントを続けていたと知ると、暗鬱な気持ちになる。

こうした映画界のスキャンダルの教訓は、たとえばトランス女性といったなんらかの属性を根拠に、批判したら差別になるからと相手を黙らせるポジションを作ってはいけない、ということだ。それは、単なる芸能ゴシップにはとどまらない。

ジョージ・クルーニーといえばNo.1のハリウッド・スターで、熱心な民主党のサポーターとして知られる。しかしいまや彼を扱う記事でも、遠回しながら、トランプ再選を後押しした要因のひとつが「トランスジェンダーの ”無敵化” への反発」にあったと認めているように見える。

日本人が洋画を見なくなって久しく、今月のアカデミー賞の話題もまた、この国では伊藤詩織監督のドキュメンタリーの当否(落選)に集中していた。しかしそれ以上に、今回の顛末は「時代の転換点」として、歴史に刻まれる可能性が高い。
8無題Name名無し 25/03/28(金)19:57:49 IP:221.112.*(ucom.ne.jp)No.4365468+
アカデミー賞の惨状が示すように、自分は特定の属性を持っているから、なにを言っても「被差別者の声」として聴かれる資格があり、批判するなら差別者だと言い張ってよい「無敵の人」(通常の意味とは違うが)のポジションを作ることは、かえって反差別の運動を弱体化させる。なぜか。

露骨な偏見の持ち主や、現体制を絶対視すると公言して恥じない反動家は、そもそも「あなたは差別者だ」と批判されても痛くも痒くもない。逆にダメージが大きいのは、私は差別のない社会をめざしますと主張するリベラル層だ。つまり「無敵の被差別者」の出現は、実際には差別をなくそうと取り組む運動を内ゲバ化させるのだ。

1970年代から左派優位が崩れた日本と同様に、バイデン政権までは米国民主党を支えてきた、労働者・貧困層・マイノリティ・知識階層の連合も壊滅した。その最大の楔となったのがトランスジェンダリズムであり、トランプ政権の多様性への攻撃は、結果であって原因ではないのだ。リベラルな人ほど、見誤ってはならないと思う。

https://agora-web.jp/archives/250327005729.html

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