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1067488 B無題Name名無し26/10/27(火)12:16:36 IP:153.203.*(ocn.ne.jp)No.4418359+ 12月13日頃消えます
漫画家・ちばてつやさん死去 87歳 戦争、貧困、挫折を乗り越え…「あしたのジョー」生む スポーツ漫画の歴史を変えた表現力 漫画家初の文化勲章、後進育成にも尽力

ボクシング漫画の金字塔「あしたのジョー」をはじめ、数々の名作を世に送り出してきた漫画家・ちばてつやさん(87)が死去したことが分かった。最近では2015年12月から、ビッグコミックで「ひねもすのたり日記」を連載していたが、今年9月、体調不良で休載すると発表。自身のブログも8月17日に執筆したのが最後だった。
…1無題Name名無し 26/10/27(火)12:18:15 IP:153.203.*(ocn.ne.jp)No.4418360+
戦争と貧困を経験した少年は、漫画を通じて人間の喜びや悲しみ、挫折から立ち上がる姿を描き続けてきた。日本のスポーツ漫画を代表する作家となり、2024年には漫画家として初めて文化勲章を受章。作品の創作だけでなく、後進の育成や漫画文化の発展にも尽くしてきた。

 その半生は、戦後日本の漫画の歩みと重なる。ちばさんは39年1月11日、東京・築地で生まれた。本名は千葉徹弥。幼少期を旧満州・奉天(現・中国遼寧省瀋陽)で過ごし、6歳だった45年に終戦を迎えた。父親は印刷会社に勤め、家族は比較的恵まれた生活を送っていたが、日本の敗戦によって暮らしは一変した。
…2無題Name名無し 26/10/27(火)12:18:43 IP:153.203.*(ocn.ne.jp)No.4418361+
日本への引き揚げを目指す中、一家は父親の中国人の友人宅に身を寄せ、屋根裏部屋に隠れて生活した。食料も十分にない過酷な環境。外で遊ぶこともできない弟たちを楽しませようと、紙切れに絵を描き、物語を聞かせた。後にちばさん自身が漫画家としての原点だったと振り返る体験だ。 46年に帰国したものの、生活は苦しかった。食べ物も乏しく、両親は自分たちの食事を削って子どもたちを育てたという。戦争によって日常を奪われながらも、家族に支えられて生き延びた経験は、ちばさんの創作活動につながっていった。帰国後、友人を通じて漫画の世界に触れ、50年には漫画同人誌の制作に参加。高校生だった56年に貸本向けの作品でプロデビューした。58年には「ママのバイオリン」で雑誌連載を始め、少女漫画でも活躍。61年に野球漫画「ちかいの魔球」で週刊少年誌に進出すると、「紫電改のタカ」「ハリスの旋風」など次々と人気作品を発表した。
…3無題Name名無し 26/10/27(火)12:19:28 IP:153.203.*(ocn.ne.jp)No.4418363+
大きな転機となったのが、67年12月発売の「週刊少年マガジン」で連載が始まった「あしたのジョー」だった。原作は高森朝雄の筆名を使った梶原一騎さん。下町のドヤ街に現れた少年・矢吹丈がボクシングと出会い、ライバルたちとの死闘を通じて成長する物語は、若者たちの熱狂的な支持を集めた。

 原作者と漫画家の個性は対照的だった。梶原さんが激しい勝負の世界や人間の闘争心を描く一方、ちばさんはジョーを慕う子どもたちや周囲の人々の温かさを作品に織り込んだ。かつてスポーツ報知の取材に、2人の違いを「水と油」と表現しながらも、互いの持ち味が作品を支えていたことを明かしている。
登場人物の一人、力石徹が試合後に命を落とすと、講談社の講堂で実際に葬儀が開かれ、数百人のファンが参列した。架空の人物の死が現実社会の出来事となった。作品は寺山修司、三島由紀夫ら文化人にも影響を与え、漫画の枠を超える社会現象に発展した。単行本の累計発行部数は2000万部を超え、テレビアニメの最高視聴率は31・6%を記録した。
…4無題Name名無し 26/10/27(火)12:20:34 IP:153.203.*(ocn.ne.jp)No.4418364+
人気の一方、創作活動は過酷を極めた。ちばさん自身も体調を崩し、十二指腸潰瘍で入院。連載の休止を余儀なくされたこともあった。取材に「何で漫画を描いているのか? 命と漫画、どっちが大事だ」と何度も自問自答したことを告白。それでも作品を描き続けた。73年、連載は完結した。最終回で描かれたのは、リングのコーナーに座り、真っ白な灰になったように見えるジョーの姿だった。生きているのか、死んでいるのか。結末の解釈は読者に委ねられた。ちばさんは「私も燃え尽きたところがあった。当時の自分の気持ちをそのまま描きました」と振り返っている。主人公が最後まで力を出し切った姿には、長い連載を終えた漫画家自身の思いも重なっていた。
…5無題Name名無し 26/10/27(火)12:21:05 IP:153.203.*(ocn.ne.jp)No.4418365+
功績は「あしたのジョー」だけにとどまらない。剣道を題材にした「おれは鉄兵」、相撲界を舞台にした「のたり松太郎」、ゴルフ漫画「あした天気になあれ」など、幅広い競技を作品に取り上げた。勝敗だけではなく、登場人物の個性や人間関係、成長の過程を丁寧に描く作風は、スポーツ漫画の表現を豊かにした。 「おれは鉄兵」で76年に講談社出版文化賞、「のたり松太郎」で77年に小学館漫画賞などを受賞。長年にわたる活動は高く評価され、2002年に紫綬褒章、12年に旭日小綬章を受章し、14年には文化功労者に選ばれた。
創作と並行して力を注いだのが、次世代の漫画家育成だった。05年から文星芸術大学でマンガ専攻の教授を務め、19年から22年までは学長として学生の指導に携わった。日本漫画家協会でも要職を歴任し、現在は会長を務めた。漫画家たちを支え、漫画文化を次世代へ継承する活動にも取り組んできた。
…6無題Name名無し 26/10/27(火)12:22:17 IP:153.203.*(ocn.ne.jp)No.4418366+
15年末には、自身の人生を題材にした「ひねもすのたり日記」の連載を開始。旧満州での幼少期や引き揚げの記憶、漫画家仲間との交流などを描き、戦争を経験した世代としての記録も残している
24年には日本芸術院会員として文化勲章を受章した。漫画家としては初めての栄誉だった。長年、大衆娯楽として親しまれてきた漫画が、日本を代表する文化の一つとして認められたことを示した。評価は海外にも広がった。25年に米サンフランシスコのデ・ヤング美術館で開幕した漫画展でも「あしたのジョー」の原画が展示された。

 今年8月までブログを継続し、日々の感じたことや、戦争体験を語り継ぐ活動も続けていた。文化庁は今年4月、整備を進める「メディア芸術ナショナルセンター(仮称)」の初の収蔵予定資料として、ちばさんの漫画原画など7万点を超える資料を受け入れ、保管を始めたと発表した。ちばさんが歩んだ人生は人々を楽しませる娯楽から、世代を超えて読み継がれる文化へと発展してきた証しでもある。
https://hochi.news/articles/20261027-OHT1T51054.html

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