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日本にも、不合理な法を遵守したことによっておのれの生命を失った人がいた。敗戦直後の1947年、東京地方裁判所の若き判事が栄養失調のため死亡したのである。
日本は戦時中、配給制度をとっていた。米、味噌、醬油、砂糖などの食料やマッチ、石鹼などの日用品が配給の対象となり、各家庭に予め人数分の引換券が配付され、これを商品と引き換えるという制度であった。
敗戦後もこの配給制度は存続したものの、機能不全に陥った。米がなくなり、さつまいもやトウモロコシなどの代用食も遅配や欠配が続いた。つまり配給を頼っていては人々は食べ物を入手できない状態に陥ったのである。
当然、国民は飢え死にしたくないから、法律違反であることを承知しながら「闇市」と呼ばれる市場で食料を入手するようになった。
… | 1無題Name名無し 25/03/20(木)20:04:58 IP:221.112.*(ucom.ne.jp)No.4363853+現金を持たない人は自分の衣類を売ってまでも食糧を手に入れた。みんな、生きるために仕方なく法律違反をしていたのである。 |